D r . K A W A H A R A page4 スーダン退避 2023 年 4 月、突然の内戦が始まりスーダンに滞在していた邦人らと共に誰も怪我することなく無事に帰 国できたのは奇跡に近いと思う。 改めて自衛隊をはじめとする関係者には心から感謝を申し上げます。 医務官としてタンザニアへ 1998 年、私は医学部大学院を終え、妻と5歳と3歳の子供を連 れてアフリカのタンザニアに医務官として赴任した。大学と外務 省の協定の元、1年の契約であった。医務官の仕事は邦人の健康 管理であり、当時 300 人ほどの在留邦人と日本からの出張者、 観光者の医療問題の対処を行なった。 邦人が殺害されるという悲しい事件があったが、タンザニアの法 医学者と一緒に私も司法解剖を行なった。インターネットがそこ まで普及していなかったこの時は大学の法医学の教授と電話を繋 ぎっぱなしにして、要点を押さえながら解剖をした。 内戦は今でも収束してなくスーダン に行くことができずに例年にないス ケジュールで動いている。 そんなこともあり、初めて北九州青 年会議所の新年会に参加した。 隣に座られていたのが地元の先輩で ある池浦さんであり寄稿文を依頼さ れた。 連載記事とのことで、どこから始め ようかと考えたが、タンザニアに 行った時からスタートする。 そして日本の皇族、政治家の方々への接遇なども仕事を させてもらった。 また現地の方と接するにつれ彼らの生き方、考え方に興 味を持った。中でもタンザニアで最大規模のスクマ族の 酋長であるチーフ・マトゥンゲに大きく影響を受けた。 一世代前には経験しなかった新しい国ができて、彼の祖先 が統治してきたのを継承しつつ、現代社会に生きる部族長 としてどのようにして民を治めるべきかを彼は見せてくれ た。亡くなってしまったのは残念であるが、彼と出会った ことで私の生き方も変わって行ったかもしれない。 結局、大学には帰らずに外務省に残りながら、アフリカ に居続けようと決心した。 多くのマラリア患者を診て、時に重症者を第3国に送り、キリマ ンジャロ登山での高山病、またはサメ咬傷(無事に生き延びた)など、日本では出来ないことを医師と して経験した。
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